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『街路樹』(がいろじゅ)は、日本のミュージシャンである尾崎豊の4作目のオリジナルアルバム。英題は『''TREES LINING A STREET''』(ツリーズ・ライニング・ア・ストリート)。 == 背景 == コンサートツアー「LAST TEENAGE APPEARANCE TOUR」終了後、無期限活動休止宣言の後1986年5月に渡米し、翌1987年1月に尾崎は帰国した。本人不在にも拘わらず、日本ではフィルムコンサート「625DAYS」が公開され、約20万人を動員するなど依然として人気は高まっていた。 帰国直後の1987年2月10日、それまで在籍したCBSソニーを離れ、所属事務所「マザーエンタープライズ」が設立した新レーベル「マザーアンドチルドレン」〔1987年2月1日設立。1990年、アルファ・ムーンと合併し、エム・エム・ジーとなる。1993年にイーストウエスト・ジャパンに社名変更。2002年、タイム・ワーナーに吸収合併され、現在は、ワーナーミュージック・ジャパンの一部門、eastwestレーベルとなっている。設立時の所属アーティストには尾崎の他、HOUND DOGがいた。〕へ移籍。前作までの3作は、ソニー専属のプロデューサーである須藤晃によって制作されていたが、レコード会社の移籍に伴って尾崎自身もかなり親和していた彼とは離れる事になってしまう。 その後、レコーディングを開始したものの、歌うべき事が見つからず、上手く作品を作れない事で苦悩し、アルバムを完成できぬまま「TREES LINING A STREET」ツアーを7月より開始する。スタッフは半年後にはアルバムが完成すると思っており、その合間を縫う形でレコーディングは続けられたが、完成には至らなかった〔。本来は1987年4月リリースを予定していた本作だが、リリース予定は7月に延期され、さらに9月になってもリリースされなかった〔。 8月5日にはライブイベント「広島平和コンサート『ALIVE HIROSHIMA '87』」に参加、親友である岡村靖幸との共演を果たし、6日には出演予定はなかったものの飛び入りで数曲を演奏、8月22日にはライブイベント「熊本BEAT-CHILD」に参加、豪雨の中で全7曲を歌い上げるなど活動は順調に見えた。しかし、9月24日の豊橋勤労福祉会館での公演中に倒れ、立っていることもままならない状況となりライブは中断、28日の新潟県民会館での公演前に再び倒れ、以降ツアーは残り半分以上を残したまま中止が決定される。体調不良の原因は極度の肉体疲労であるが、間接的には酒、睡眠薬などの多量摂取だと言われており、その原因は曲が作れない事と、所属事務所は自分を商品としてしか見ていないとの思い込みによる人間不信にから来るものであった〔。 アルバムリリースは無期延期となり、代わりに初期のライブから「反核」のタイトルで演奏されていた「核 (CORE)」が10月1日に移籍第1弾シングルとしてリリースされる〔。しかし、その後の12月22日に覚せい剤取締法違反により逮捕されてしまい、アルバムの制作は暗礁に乗り上げる。 1988年2月22日に執行猶予により釈放され暫く謹慎生活を送った後、5月に一般女性と結婚。これにより、精神の安定を得た尾崎は曲作りに励むようになる〔。 6月22日、初めてテレビの歌番組『夜のヒットスタジオDELUXE』に出演し、前日に発表したばかりの復活シングル「太陽の破片」を生放送で歌う〔結果的に、これが最初で最後のテレビ番組の生放送出演となった。〕。 その後、本作のリリースが決定した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「街路樹 (アルバム)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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